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小泉勲(元日本鋼管)× 丸山由美(元日立、小田急)

丸山
小泉さんが入られた第2回日本リーグはどのようなムードだったのですか?
小泉
けっこう華やかでしたよ。当時は、日本鋼管と松下電器(現・パナソニックパンサーズ)の2強時代で、1試合だけで東京体育館が満員になって、切符が買えない人も外にずらっと2000人いたと聞きました。 試合が終わるまでずっと待っているので、選手たちは正面から出られなくて、グラウンドの更衣室の窓から出て、祝勝会の会場に直行するくらいで(笑)だからその時はすごかったですね。
丸山
すごいですね。
小泉
丸山さんの日本リーグの思い出は?
丸山
いろいろありますが、不思議と勝ったよりも負けた試合のほうが覚えていますね。

小泉
もう勝ちすぎちゃってるからねえ。
丸山
いや、そんなことないですよ。モントリオール五輪で金メダルを獲得された先輩方がごそっと引退されて、20歳くらいの選手が1番年上というチームでなかなか勝てない時代もありました。そのときは、先輩方に復帰してもらってなんとか勝つことができたのですが…。 でも最初にやっぱり、あれかな、上の方が引退されて、チームを若手に任されて、それで負けが続いて、その後、クミ(中田久美/現・全日本女子チーム監督)や三屋(裕子/現・日本バスケットボール協会会長)たちが入ってきた時に優勝して、勢いが乗った時が一番の思い出かもしれません。第15回から88連勝がスタートしてるんです。
小泉
なるほどね。一番強かった時代だ。
丸山
いろんなことがありましたねぇ。相手のチームがあまりにも勝てないから、ネット越しにいろいろ言ってくるんですよ(笑)でもね、それって逆効果。私、そういうことを言われたら逆に燃えるタイプなんです。“反対に、ありがとう。燃えさせてくれて”って思ってましたね(笑) 一度、こんなこともあったんですよ。クミがまだ15歳か16歳のころ、いくつか疑問が残る判定が出たときに、目に涙いっぱい浮かべてコートに立つ姿を見たんです。観客もいっぱいいて、テレビ放送もあって。当時、私はキャプテンだったのですが、審判に抗議しても覆るわけないってわかっていたけど、クミが泣いてる姿を見て我慢できなくなっちゃって。猛抗議(笑) そんな感じでついつい感情を抑えきれなくなったこともありましたね。 チームメイトもずっと長い間一緒にいるから仲間意識もすごい強かったので。

小泉
その気持はすごくわかる気がするな。でも女子の結びつきは男子以上のものがあるかもしれないね。
*****
小泉
丸山さんたちが作り上げたブロード攻撃も僕らの時代は、“片足ではジャンプ力が落ちるからよくない”って言われたけど、発想の転換だよな。
丸山
それまでの日本には、白井さん(貴子/元日立)という大エースがいたけれど、私たちのころはいない。世界で勝つために必要なのは、コンビネーションだということにいきついて、ノ―トに何種類もパターンを書き出して…。そういうときにブロードが生まれたのです。 でも、基本の速いクイックがあるからこそ、ブロードが効きますし、総合的なんですよね。ブロードだけやっていたら相手にブロックされてしまいますから。 そういう面では、すごく相手のことを考えていたかもしれません。試合前の練習を見て相手を観察して、全然知らない選手だったら、こちらのコースが多そうだな、と、探ることはものすごくやったかもしれない。
小泉
私は、ブロックでレギュラーにしてもらったんだけど、スパイカーにはそれぞれクセがあってね。本当に、おもしろい。相手をジーっと観察するんですよ、そうするとクセがわかる。たまに、あからさまな選手がいてね、スパイクの前に、首がカクンとこっちに向くの。その時はもうクロスしかない(笑)それも敵を知ることの一つだったなあ。
丸山
相手を読むことがおもしろいですよね。バレーボールのおもしろさだと思います。
*****
小泉
ちょうど、東京オリンピックが終わったあと、ブロックのオーバーネットがOKとなるルール改正になったときに、中央大の橋本監督(当時)が、これからの“近代バレーはセンタープレーヤーが中心だ”というようなことで私を抜擢してくれたんですね。当時全日本の監督だった松平(康隆)さんが、ソ連、高さの東ドイツ、個人技のチェコスロバキアの3強に日本が食い込むには何が必要なのか、という事でいろいろ考えていらっしゃったころだったんです。中央大学がその時にもうコンビネーションバレーを取り入れて非常にいい試合をやっているというので、“日本のチームが生きる方向はこういうことじゃないか”と、取り組まれて、私も全日本に入れていただきました。結果的に、私は13年のバレー歴があるんですけど、その間、7年間全日本に日の丸つけてプレーさせていただきました。
丸山
そうだったんですね。

小泉
猫田さん(勝敏/元JT)と一緒にプレーもしたけれど、本当にスパイカーが打ちやすいトスをあげるの。猫田さんのアタッカーを生かすスピリットというのは、ものすごく大事だなと思いますよね。 もともと、バレーボールというのは日本人の心に合う競技なんですよね。自分を投げうっても…例えばセッターだったら自分が転がってもスパイカーにトスを上げてあげようとか、セッターにいいボールを返してあげようとか、そういう精神が詰まった競技がバレーボールだと思うんですよね。それをもっと大事にね、していくべきかなと思うんですけどね。
丸山
そのためにも見ている方々を感動させるプレーをしてもらいたいなと思います。感情が動くようなプレーが見られればうれしいですよね。
小泉
そうですね。今、丸山さんとはVOJ(日本バレボールオリンピアンの会)の活動で、ご一緒させていただいているけれど、もともと、少子高齢化が進む中で減ってきているバレーボールの競技人口を増やすためにとスタートした組織だから、もっともっとそのためにも活動を行っていきたいね。 今は、丸山さんが中心となって“ボールと遊ぼう”という授業を幼稚園や保育園をメインに積極的に行っているよね。
丸山
メニューも臨機応変に変えていますが、これまでいろいろな子供と触れ合ってきて感じる大事なことは“まず楽しいかどうか”そこを1番大事にしなければいけないということです。1回30分くらいの授業の中で、バレーボールの楽しさと、どんな競技か知ってもらえるようなメニューを組んでいます。 中にはずっとバレーボールを続けてくれる子もいて“オリンピックを目指します”と言ってくれるとうれしいですよね。
小泉
時代はどんどん変化していくけれど、それをやらないと先はなかなか見えないと思います。私もVOJの活動を通じて発信していけたら。
丸山
みんなが努力して、またバレー界、バレーボールが盛り上がればいいなと思っています。
(続きは月刊バレーボールへ)

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