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青山繁(元富士フイルム、東レ)× 泉川正幸(元東レ、ジェイテクト)

青山
Vリーグの思い出と言われて、パッと浮かぶのは入れ替え戦しかないなぁ(笑)いやいや、それは冗談で、入った時は日本リーグで、Vリーグになって、富士フイルムで2シーズンやらせてもらった。Vリーグになってからは他のチームと違って富士フイルムには外国人選手がいなくて、なかなか勝てなくて、ベスト4には進めなかった。7位とか8位とか苦しい経験が多かったから、富士フイルムから東レに移籍して、やっと入れ替え戦から抜け出したと思ったら、東レに入った翌年にまた入れ替え戦(笑)青山が負の神を持ってきた、って有名だったから(笑)
泉川
青さん(青山)と東レで一緒にプレーできたのは1年だけなんですよね。
青山
そう。第9回の時だよね。
当時、最初は俺とピート(泉川)がレフトで対角だったけど(ドミトリー)フォーミンが肉離れで、中盤から後半は全然ダメだったから、急遽ピートがオポジットに入って、俺と笠原(紀久)とか、俺と越谷(章)、笠原と越谷が対角に入るパターンになった。当時は山口(誠)がトスを上げて、越谷、篠田(歩)、田辺(修)、掛川(厚志)が入って来た時代。だから僕も彼らと東レに同期入社なんだよ(笑)。
泉川
東レはまた独特のカラーがありますからね。富士フイルムから移籍して最初は戸惑ったんじゃないですか?でも今の青さんは立派に大学で監督もされているので、それは東レの経験が生かされたんだと思いますよ(笑)すごいなぁって思います。
青山
当時は今よりチーム数も多かったし、四強に入るとまたそこで総当たりをやって、決勝が決まる。最初の年に、十日市体育館で勝てば四強だけど、負けたら四強へ行けないという状況でサントリーとの試合があって、フルセットで負けたんだよね。あれはショックだったなぁ。
泉川
そもそもフォーミンがケガをしすぎなんですよ(笑)。
試合が始まった瞬間に「ムリ、代わって」って言うから、マジかよ、って思いながらコートに入ったこともありましたもん(笑)

青山
あった!1本打ったら足引きずって「もうムリ」って。そんなはずないだろ、ってな(笑)。
ピートが出てカバーしてたなぁ。でも入れ替え戦の翌年は優勝。アブラーモフ(パーベル)が1年目の時に入れ替え戦で2年目は彼自身もガラッと変わって、開幕からずっと連勝して優勝して。その時の四強に入った試合で出させてもらって、四強を決めた試合でヒーローインタビューを受けたんだよ。これが四強かぁ、としみじみ思って本当にグッときたし、バレーボール人生、もうこれでいいや、って思うぐらいうれしかった。その年のファイナルはNECとさいたまスーパーアリーナで戦って、そこで勝った時に、あぁ本当にこのチームに来てよかったって思った。
泉川
僕は東レを辞めた後に、35歳でジェイテクトに移籍して2年ぐらいプレーしそれからは監督をしてトヨタ車体に行きました。まさか自分がジェイテクトに行くとは思わなかったし、またプレーをするとも思いませんでしたが、貴重な経験になりました。今回も惜しかったですよね。ゴールデンセットで負けてしまって。でも3位ですもんね。
青山
そうだね。着実に強くなっているよね。でもゴールデンセットって、直接見てはいないけれど、試合が終わった15分後に始まるでしょ?その待ち時間は微妙だよね。選手からすればすぐやりたいだろうし。前のセットのまま行くのか、リズムを変えるのか、運の部分も強いだろうから3試合設けておいてゴールデンセットは別の日にするとか。
泉川
監督の采配も影響しそうですよね。一発勝負だから、普段は外国人選手に頼るところを別の選手にしたり、逆に外国人選手だけにしてみたり、すごく影響すると思います。
青山
ついさっきのセットまでのデータがあるわけだから、ローテーションの前と後ろが引っくり返るだけで大きく変わる。
泉川
特に女子はその傾向が強い気がします。コンディションもありますからね。足をつったり、そのあたりも見極めないといけないし。
青山
見ている分にはおもしろいよね。選手は大変だろうけど盛り上げるのも仕事だから(笑)
*****

泉川
僕の息子もこの春から高校生なんです。親バカみたいですが、背も高いし、イケメンだし(笑)、なかなかいいんですよ。だから青さんのチームも見てみたいなぁ、と思っているんです。
青山
いいじゃない。入れろよ、中京大(笑)。
レセプションができなくても、俺がレセプション教えるよ。今も昔、俺が東レのアローズジュニアを見ていた頃に入っていた選手が高校を卒業して「もう一回青山さんとやりたいです」と言って中京大学に入って来てくれたり、そういう巡り合わせも楽しいよ。ピートも女子の監督だったしね。成田(貴志)も鎮西の女子を見ていたり、一緒にやっていた仲間が結構女子のチームで監督をしているじゃない?たまに「青山さんも女子どう?」って言われるけど、絶対に無理だろうな(笑)。やっぱり女子は男子と違うだろうし、いろいろ大変なの?
泉川
それぞれの良さや楽しさもありますが、確かに難しさもありますね。たとえばVリーグの女子だと、全国の高校でトップにいた選手たちが来るので、しがらみもあるし、それぞれの学校でやってきたスタイルややり方、バレーがあります。そこをVリーグだからといって、高校までやってきた先生のやり方を覆しちゃいけないというのもありますから、そのあたりは結構気を遣いました。
青山
選手から「このやり方は違います」とか言われるの?
泉川
いえ、それはないですけど、たとえば青さんが教えたことと、僕が教えたことが全然違ったら混乱するんです。それは見ていればわかるので、今までやってきたことは大事にさせてあげて、たとえばちょっと違うかな、と思う部分があったとしても「それは違う」というのではなく「こういうやり方もあるからどう?」と遠まわしに言う。そこは男子とは違いますね。僕もいい勉強になりました。
青山
男子もあるけど女子のほうが強い傾向かもしれないね。ウチも名だたる高校から来てくれるけど、やってきたことと違う、とか言って来ても「今はこうだ」って、言えるから(笑)そのあたりはサバサバしてるよね。
*****

青山
当時は男子バレーの人気も高かったけれど、95年のワールドカップは特にすごかった。92年のバルセロナ五輪で盛り上がった後だったし、全日本でコシノジュンコさんがデザインしてくださったグラデーションのユニフォームも印象的だったんじゃないかな。あのユニフォームは今でも富士フイルムや東レの頃のユニフォームやトロフィーと一緒に家の玄関に飾ってあるなぁ。
泉川
僕は実際に飾ってはいませんが、あのグラデーションのユニフォームは印象深いし思い出がありますね。
青山
そう。で、その翌年のオリンピック予選で負けたんだよ。
泉川
そうでした。ホームアンドアウェイ方式で、日本で勝ったのに韓国ラウンドで負けて、最終予選に回ってギリシャへ行って、ポーランドに負けて帰って来たんですよね。
青山
苦い記憶だね。それから北京の年(2008年)までオリンピックに出られなくなっちゃったわけだから。でもだからこそ、そういう出られなかった時代の選手の思いや、築いて来たものを背負って、今の選手には戦ってほしいな。それが日の丸を背負って戦う責任だと思うし、責任を持って勝ってほしい。
泉川
そうですね。僕らも日の丸の重みは本当に何度も教え込まれたので、これからを担う若い選手たちにも、同じように責任を持って戦ってほしいですね。
(続きは月刊バレーボールへ)

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